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2010年02月04日
絶句…
勿論、営業ですから、企画書に何の興味ももっていただけないことはよくあることですが、昨日の経験は驚いた、というか、何と言葉を返してよいか、文字通り絶句してしまいました。
「あの~、この内容を手書きで書きなおして持ってきてもらえませんか」
「え?内容を要約したものですか?」一瞬、何を要求されているのか理解できません。
「そうですね、この内容がよくわかるように、手書きで文章を書いて持ってきてもらえませんか」
応対いただいた方はとても丁寧にそう言われるのですが、手書きだとずいぶん手が痺れるだろうなぁ、などと考えてしまった私は、
「…手書きですか? あのー、手書きにする意味は何かあるのでしょうか?私が作成したものではないということをお疑いだとか、そういうことですか?」
と、余計な質問をしてしまいました。納入仕様指示があればそれに従えばいいのに、あまりに面倒だな、ちゃっちゃと済ませたいな、という横着な考えが頭を擡げたのでした。
「うーん、…上の方針なんですよね」
「…」
嫌がらせ?
面倒なので、ハイハイと応えて退散しました。手書きの場合は納入まで百万年かかりますと注記しておいた方が良かったかなと思いました。
トホホ…意味わかんねぇ。。
2010年02月03日
2010年02月02日
2010年02月01日
2010年01月26日
鴨川シーワールド
行事の代休で朝からぼんやりしている娘と、「水族館にでも行く?」という話になって、かもシー、鴨川シーワールドに出かけた。
この時期の南房総は好きだ。幼い頃から海を眺めながら育ったせいか、定期的に海風が恋しくなるのだが、早春の房総は瀬戸内や博多湾では味わうことのできなかった、一足早い春、の風情があっていい。
だからこの時期になると毎年房総には来ているのだが、かもシーに入園するのは久しぶり。出がけに古い記憶を辿っているとどうやら7年ぶりのこと。当時、3歳にならないはずの娘には、とてもかもシーの記憶なんかないだろう、と聞くと、いや、兄たちと一緒に「似顔絵を描いてもらったこと」はちゃんと憶えていると言う。確かに、子どもたちが揃って描かれた色紙は今も飾ってあるが、娘だけはなぜか口を尖らせている。それはあの時、兄の一人が口を尖らせる癖があって、それを一生懸命真似してたら、その通りに描かのだ、だから記憶は間違いないと言い張った。
でも、肝心の海獣たちの記憶は全くないらしい。
150kmを3時間弱走って、お昼過ぎに到着。「ラビー&アース入園プラン」で親子4000円也。おまけでもらえる1000円分の園内通貨はアイスとスタンプラリーに消えた。
母親シャチのラビーは1月11日生まれの12歳。このラビーが1歳の誕生日の年、4月11日生まれの妻と8月11日生まれの次男が記念のハンカチをもらった記憶が蘇る。あれから11年か…当然、目の前の娘はその頃は存在しないわけで、「へぇー、ラビーって私より先輩なんだ」とあくまで自分中心に時間の経過を辿っている。
基本、何も変わらない。ここシーワールドだけでなく、鴨川の街並みも、太平洋を望むこの景色も、色彩感も。ある時、唐突に登場した亀田総合病院の、あれ、なんとかならない?という感じの外壁の色使いにも、もう慣れた。
南寄りの風も変わらない。今時の子供である娘は、風に運ばれる海獣たちのエサになる生魚の生臭さに「うっ、くせー」と一瞬顔をしかめたが、シャチが豪快に飛ばす水しぶきに濡れる頃にはすっかり馴染んでしまったようだ。
陽光に煌めく太平洋を背景に、シャチと女性トレーナーが繰りひろげるショー。尾びれで空中のボールを蹴る大技は封印中。でも一向かまわない。スタンド上段からぼんやり海辺を眺め、潮風に吹かれ、海の匂いを嗅ぎ、時折湧き上がる水しぶきと歓声を聞いているだけで、何かにゆったり包まれる感じになる。ここへ座ると、人間は海から来たんだ、といつもは忘れている感覚を思い出す。
本当は一日中でもそこにいたいのだが、せっかちな娘は、「ほら次、アシカ」と、どんどん先を急ぐ。匂いはもうすっかり気にならなくなったようだ。
アシカ芸には笑った。お母さん役の慟哭には、失笑ではなく、結構思い切り笑えた。お父さん役の顔芸も、笑いの「ま」みたいなところがきっちり押さえられていて、スコーンと笑えた。
「次はベルーガだって」。アシカ芸ですっかり気を良くした娘に促されてふたたび移動。ショーそのものは記憶の中にあるものとほぼ同じだったが、ベルーガの頭頂部分がぽわんぽわんしているのには驚いた。「なにが入ってるの?」「あれ、割れたら大変だよ」娘ともども、ショーよりそっちが気になって仕方なかった。
「ほらほら、今度はイルカ!」誰かと競っているかのようにダッシュしたがる娘。一方の私は、イルカのショーはあんまり変わり映えしないだろう、と動きが鈍る。そんな私にとうとうイラついたのか、娘は無言で私の背中を押し始めた。上段センターに席を見つけて、よっこらしょ、と座る。娘はなんだよ年寄りくせーなぁ、って感じで知らん顔。
イルカの切れ味はそれなりに凄い。彼らのシャープな身のこなしを観ながら、ふと自分の腹周りが気になった。
ひととおりショーを観終え、トロピカルアイランドで偶然フィーディングを目にし、押し忘れたスタンプを探しにラッコたちの元へ逆戻り。娘はスタンプ台探しに夢中。
偶然、ペンギンのフィーディングにも遭遇。拒食症なのか、小魚を無理やり口に押し込まれるペンギンが一羽。言うことをきかない子どもたちが母親に叱られていた頃の絵と重なって、なんだかおかしくもあり、物悲しくもあり。
最後のパフォーマンスが終わる頃には急に人影もまばらに。4時前に店じまいの始まったレストランを出ると、私と娘のほかにはウミガメを眺めている親子連れが一組だけ。房総の早春は、あっというまに冬枯れのもの寂しい夕暮れに姿を変える。錆びたポールと色褪せた金属板に風が当たる音が、急に侘しく聞こえ始めた。
そろそろ帰る?
少し物足りなさそうな娘だったが、「そろそろ帰らなきゃ、コードブルーに間に合わないかもよ」の一言で一目散に車に向かい始めた。
片道3時間、途中軽く食事をして8時半頃到着。「コードブルーに間に合って良かったよ」感想はそれだけかい!
2010年01月09日
明治の男になる−その2
だから、爺さんが元気な頃は、ひたすら怖い存在でしかなかった。「半端なく」怖い存在だった。
こういうのもなんだが、私は皆から愛された。母も、叔母も、祖母も、近所のおばちゃんも、おじちゃんも、ガキどもも、私を「ちゃん」づけか「クン」づけか、または「坊」と呼んだ。父親は呼び捨ててではあったものの、ちゃんと名前を呼んだ。だが、爺さんだけは違った。
としぃ!
名前の一部分だけを怒ったように叫んだ。
そう、呼ぶのではなく、いつも叫んだのだ!
としぃ!!!!!!
…
その、明治男にしては甲高い声を聞くたびに、私は納屋の奥に隠れこむか、祖母のモンペ姿の後ろに逃げ込んだ。幼心に、この明治男が、理路整然と人の道を説くなどと思えなかったからだ。この明治男が怒鳴り始めるのは、決まって私の悪戯が露見したことを意味したのだが…
つづく
2010年01月05日
明治の男になる−その1
左隣に座った甥にふと目をやると、左手で箸をつかっている。
「あれ?お前、左利きだったっけ?」
「ううん、脳トレ」
あっそう、とその時は聞き流した。他に考えごとをしていたし、じっと眺めているほど危うげな箸使いでもなかったから。
…
その日の夜、冷え切った布団の中で寝つけぬままその日一日のことを振り返っていると、ふと、甥の「脳トレ」という響きが蘇った。
そういえば、昼間観た正月番組で鶴瓶が足指でまともに物を掴めない無様なさまを晒していた。
…俺は大丈夫か?
布団の中で足指をもぞもぞさせながら、ジムのインストラクターが言った言葉を思い出す。
「人間の体はとても横着ですよ。2日も筋トレを休んでしまうと、体はもう休むことに慣れてしまう」
なるほど。足指10本は、両手が不自由にでもならない限り、物を掴め、なんて指示が自分たちに下されるとは思ってもいないだろうよ。そんなことを考えていたら、ますます眠れなくなった。仕方なく、足指の開いて閉じてを何度か繰り返してみた。
…
実家には仏壇がある。帰省中は仏壇の前に敷かれた布団で寝る習慣になっている。
足指をもぞもぞさせながら、とうの昔に死んだ祖父を思い出した。
…そう言えば爺さん、卒中で半身が不自由だったなぁ
明治生まれの頑固じじい。短気で文字通りちゃぶだいをひっくり返していた爺さんが、ある日卒中で半身が不自由になった。筋骨隆々でガテンな爺さんが、鑿と鑢を手放し、くるみをカチカチ鳴らしてリハビリする姿になった…
つづく
2009年12月31日
2009年最後の日に
幸いなことに人間は変化に鈍感である。時は刻まれるものではなく、流れ去るもの。この不断の流れの中で、変化は鋭利な角を丸め、ひっそり肌をなでるように過ぎ去る。ケンシロウに「お前はもう死んでいる」と言われて知覚できない敗者に似て、激痛を感じることも、慟哭する暇もない。ただ、ある日はっと気がつくと、別の惑星の只中にいるようなもの。所詮、人生は錯覚、うたかたなのかもしれない。
あとから来たものが歴史を因果で語ることはできる。変化の前後を客観的に見通すことのできる立場なら、事象を因果で捉えることは可能だ。過去の因果律を現在に応用することも意味がない訳ではない。ただし、当事者であることから逃れることはできない。当事者は後世を生きる者からすれば自明である大きな因果律から、時々目を背け逃れようとするものだ。
それらの誤りを包含しながら、大変化は時の流れの中で緩やかに、しかし、着実に進む。2009年は、大変化がその鋭利な角を露わにし始めた最初の年だったかもしれない。
2009年12月30日
坊さんはテノール
坊さんの読経は声楽に通じる。イタリア語がサンスクリットに変わっただけで、どっちも意味など解らないから、体を震わせる音と軽快なリズムを楽しんでいる。そんな不謹慎なと言われても仕方ない。音とリズムに体が勝手に反応してしまうのだ。
昔々、読み書きも満足にできない人々が神社仏閣に集ったのは、勿論、夜の深い闇の向こうにある死を恐れ、何かに必死に縋ったという側面もあろうが、神官や住職が唱える祝詞や読経に、どこか心地よい音の世界があったからではないだろうか。きっと彼らは一流のエンターテイメントよろしく、下々の琴線を奏でたのだ。
ぼんやり坊さんの声を聞きながら、ゆるやかな眠りに誘われつつ、そんな意味のないことを考えたりした。
2009年12月29日
きょうは ゆうな ですなぁ
温泉場で80歳くらいの老人と隣り合わせた。
「きょうは ほんに ゆうな」
「… ゆうな、ですなぁ」
「あぁ、ゆうな。正月は混むんじゃろうが」
「そうですか」
「あの向こうはのぉ、むかしは塩田じゃった。」
「いつ頃まであったですか」
「そりゃ、戦中のことじゃあ」
「そうですか」
「のぉ、ゆうな」
「… ゆうな ですなぁ」
一瞬、湯場の時空が歪み、20年以上も前に死んでしまった祖父や祖母が眼前に現れたか。
『こりゃ、あんたにゃ、ちいと、ゆうなね』
『そうでもない、これでちょうどええ』
『いや、ゆうな。ちょっとここを縫うちゃぎょう』
…
ゆうな
ひろびろのんびりして、ざわざわしたところがなくゆったりできると言う意味
ゆうな
丈や幅や大きすぎて、だぶだぶしていると言う意味
どっちにしても、この言葉、もう30年近くも聴いていなかっただろうか。
…
「あんたぁ、どっからきちゃったかね」
「いや、すぐ近くですよ」
「それかい。あんまり見ん顔じゃけぇ」
「はぁ、すんませんなぁ」
「まぁ、ゆうに して いきんさい」
老人はのったりと湯船を出て行った。